何かを教えてくれる1日
只今、15:00。
職場近くのレストランで遅いランチタイムです。
今日は朝からモヤモヤする事がありました。
出社直ぐ、4日振りに顔を合わせた同僚に「久しぶりー」と声を掛けたら引かれました🙄 ハテ?
20歳ほど歳下の彼女。時々こんな思わぬ反応があり戸惑うことがあります。
そして私が着ている服をつまんで裏にめくり「コレ、この間お店で見て“どうなん?”って思ったのに似てる」と。そして上から下までジローっと確認。
ちょっと、ちょっと!
今朝は昨日までと打って変わっての暑さで、シアー素材のボワンとしたトップスです。「これ以上無いという薄着にしてみたー」と笑顔で返したけど、久々に傷つきました。
そそくさと席に着き、ランチで席を立つまで身体を小さくしてトイレにも行かない自分に客観的に驚く私。
なんだ?この身の置き所のない感覚は?
仕事をしながら頭の隅で感情の根っこを辿ると、久しぶりの傷つく感覚に動揺している事と、瞬時に「評価された」「笑われた」と捉えて大きく揺さぶられる自分がいる事に気がつきました。
そもそも彼女の“どうなん?”は、良いも悪いも含んでいなかったかもしれません。
勝手に私が解釈と感情を乗せただけ。
まぁ、そこにはそう感じさせる相手の表情や声のトーンがあるわけですが。
それでも動揺しすぎ、何時間も引きずりすぎよね。
彼女に腹は立ちません。それよりも自分の動揺が激しすぎて何だろうと思うのです。
ここからは帰宅後です。
実はレストランでは入店ブザーを何度押しても一向に店員さんが来ない。遅いランチだからと単品を頼んだつもりがランチセットが来た(私のオーダーミス)。急いで帰りたかったのに、クレジットカードリーダーがなかなか反応せずやり直しになった。と、小さなつまづきが重なりました。
なにかと引っかかる1日だったわ、とソファに腰を落とし図書館から借りた本を何気にめくると、ある1ページに目が止まりました。
『「おしゃれな人」と「おしゃれに見られたい人」には大きな差がある』
美容ジャーナリスト松本千登世さんのエッセイで、何を着たら良いのか分からなくなった時期に聞いた言葉にハッとしたというもの。
「おしゃれな人」は着ている服を忘れさせるほどにその人に目がいく、つまり「おしゃれ」イコール「その人らしさが際立つ」こと。ひょっとして「おしゃれに見られたい」のが基準となり迷子になっていたのかも。心地よさから自然と背筋がのびるような自分の定番を手に入れようと、また一からファッションにときめいている、とあります。
なんだか私も。。。ファッションセンスがあると言えず、それは置いておくとして。今日の激しい動揺に、改めて自分の中にある「他人軸」を自覚したのでした。
You are you. Now, isn’t that pleasant?
- Dr. Seuss
🐶わぁ、こんな景色なんだね。もうボク、胸いっぱい